Welcome to my Site

新しい Siteを立ち上げた。

このサイトにはこれまでパフォーマンスや、朗読の会等で公開された、私の愚作を紹介していこうと思う。

一度に掲載することは一寸難しいので、徐々に載せていく予定である。

また、仏訳の作品も掲載していこうとも考えている。一応ネイティブの友人に添削をしてもらっているが、おかしな言い回しになってしまっている箇所も多々あるかもしれない。

ご指摘戴ければ幸いである。

 

時系列に掲載をしようかとも思ったが、それでは近作がずっと後回しということにもなりかねないので、私の思いついたまま、ランダムに掲載するつもりである。

尚、此のトップページに掲載された作品は、順次、Bibliothèqueに移行し掲載して行く。

 

各々の作品の全文は、pdfファイルにして添付させて頂く。ダウンロードしてご覧戴きたい。

尚、pdfファイルは暗号化されているので、パスワードが必要となっている。作品ごとにお知らせするので、大変お手数をおかけするが、パスワードを入力してご覧戴きたい。

 

また、これらの作品の引用、あるいは二次使用に関しては、愚作とはいえ著作権の放棄は未だしていないので、万一引用、二次使用をお望みの場合は、ご一報戴きたい。

1945/4/2 波平

沖縄と私の関わりは、1960年代後半、未だ私が学生であった頃からだった。

当時沖縄は米軍統治下にあり、日本人が沖縄と日本を行き来するのには、Visaが必要であった。つまり渡航が制限されていたのだ。沖縄返還の運動の中で、此の渡航制限を撤廃するという闘いがあった。沖縄から晴海埠頭に接岸した船のタラップから、Visaを持たない青年が飛び降り、彼を私たちが救い出すという行動だった。もう40何年か前の事だ。

 

初めて沖縄に行ったのが、新婚旅行。オクマビーチの波の音を聞きながら幸せのひと時。前の話とは、随分色合いが違った。

 

後の2回は反基地の集会に参加した時だった。

一回は私一人で、もう一回は家族全員で。2度とも友人の知花昌一さんに読谷村のチビチリガマに案内をしてもらい、その悲しくも悲惨な、決して沖縄の人々は忘れ得ぬ歴史を語ってもらった。

 

未だに居座り続ける米軍基地。それを解決出来ぬ政治。その政治家を選ぶ私たち。

私には沢山の沖縄の友人が居るが、彼らウチナンの人々にとっては私たち大和の人々はいかなる存在なのか?信頼出来る友人なのか、はたまた無責任な差別者であるのか?言葉のみが空回りして行動のともなわぬ己に、疑問が付きまとう。

 

 

「1945/4/2  波平」

 

緑の甲虫の重き足どりの向かう先は、

無限の記憶の中に生き続ける苦悶の洞

涸れ果てるまで流し尽くされた、

赤き青き虫たちの涙に、切り立つ岩肌は濡れ、

鎮魂の調べを奏でる清流の音は、あの日を、あの時を見た。

 

累々と散り積もる黄灰色の人々の骨

無言の叫びは、

生への望みを絶たれ、錯乱の縁に追いやられた母の嘆き

不安と恐れの海に投げ込まれた子の苦しみ

.........(続きはpdfファイルで)

 

 

SPLEEN   1945/4/2

 

La destination vers où marchent d'un pas pesant les scarabées verts,

est la caverne du tourment qui vit dans la mémoire infinie.

Toutes les larmes que les insectes rouges et bleus ont versé de leur corps ont trempé la surface du rocher.

Le gazouillement du courant limpide, chantant les requiem a regardé ce jour et ce temps.

 

L'amoncellement des os jaune-gris des gens.

Les cris silencieux sont le chagrin de la mère brisée dans son désir de vivre et traquée au bord de la confusion mentale, et la peine de l'enfant jeté dans la mer de l'anxiété et la terreur.

 

 

 

 

Pass ward:「1945/4/2  波平」(namihira)

                「Spleen 1945/4/2」(1945/4/2)

 

 

1945:4:2 namihira.pdf
PDFファイル 86.2 KB
SPLEEN 1945:4:2.pdf
PDFファイル 49.9 KB

無窮花

 もう20数年も前になるであろうか。「日本に於ける、人権とあらゆる差別に関する研究集会」に参加した事があった。

様々な差別に関する分科会が終わり、全体集会が行われていた時の事であったように思う。

 一人の女性が登壇して、発言をした。彼女は在日コリアン2世であったと記憶している。優しく穏やかな口調ではあったが、その話の内容は、きわめて激しく私たちを糾弾するものであった。

 

「今日の集会は、大変重要で意義のあるものでありました。しかし忘れないで頂きたい事があります。ここに参加されている日本人の皆さんは、私にとっては、皆さんが日本人であると云うその事だけでも、差別者の側にあると云う事を忘れないで頂きたいのです。」

 

会場は静まり返った。存在そのものが差別の側に在るという、此の言葉は、差別を受けた事のあるものには、そして差別を糾弾した事のあるものには、何よりも自己批判を迫られるも言葉であった。

 

そして彼女は続けた。「同時に私自身も、自らが差別者になる事があるのだと言う事を、肝に銘じておかなければならないと思うのです。」と....。

 

 

「無窮花」

 

静かなる

彼の人々の生きる土地

木槿花(ムグンファ)は咲き

白く、可憐な、その姿に

我 心乱す

 

我が 父母の

その父母の

父母の

踏みにじりし

無窮花は

滅びることなく

咲き続け

我に何を語らん

......(続きはpdfファイルで)

 

Pass ward:「無窮花」(mugunfa)

 

 

mugunfa.pdf
PDFファイル 41.8 KB

欄干に踊る女

パリのセーヌ川に架かる幾つもの橋。その中でも一際美しいと言われる橋が、アレクサンドル3世橋。19世紀の末に建造されたこの橋は、ロシア皇帝アレクサンドル3世の名が付けられている。欄干には、アールヌーヴォーの街灯が並び、天使や女神の装飾が施されている。

 

私はパリの橋が好きだ。それぞれの橋に表情が有り、物語が潜んでいる。

パリに住む人々の生活と共に緩やかに流れてゆくセーヌ。橋の上からセーヌの川面を眺めていると、この街の人々の喜びや悲しみの一齣を、垣間見ることが出来るような気がするのだ。

 

Des image de Pont AlexandreⅢ : http://www.igosso.net/se.cgi?q=Pont+Alexandre

 

 

「欄干に踊る女」

 

 アレクサンドルⅢ世橋の欄干の上で、マドモワゼル マルティーヌ・デュポンが踊る。

 

 ひと気の絶えた真夜中の街を濡らす、冷たい雨に打たれながら、マルティーヌ・デュポンは、欄干の上で器用に踊り続ける。

 

 古びたガス灯の薄明かりに照らされて、一尺半幅の石の欄干の上で、マルティーヌは見事に踊る。

 

 踊り終えたマルティーヌは、私のもとに駆け寄って、

「今夜は先に帰っていて。少し用があるから。私もじきに戻るわ。」と、耳元でささやく。

...........(続きはpdfファイルで)

 

 

Pass ward:「欄干に踊る女」(rankan)

 

 

 

rankan ni odoru onna.pdf
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